エンドレスポエトリーを観た話

先月、島根県民会館名画劇場で、エンドレスポエトリーという映画を観てきました。

私にとってかなり大切な映画になったのですが、上手に言える気がしないし、と思って記事にしていなかったのですが。

観終わってからのアンケートを書いたら、なんとペアチケットが当たってしまいまして!

これはお礼も兼ねて兼ねたことになるのかは謎、感想を書いておこうと思ったのでした笑

ちなみにチケットで、次回18日のコレを、

観に行こうかな?と思っています。

娯楽って色あって。

何も考えなくていい、何かをしなくていい、でも気持ちいいもの、もあります。

というか、巷にはそれが多い気もします。

でも、短期に雑に消費されまくるものだったりもします。

一方、一筋縄ではなく、よく見てよく考えて、これからも考え続けちゃうかもしれないけど日に影響してしまう、という類の娯楽もあります。

それは消費で終わらないことが多いです。

心で育ちます。

そこが素敵だし、知的文化育成の土壌ともなるのでしょう。

地方でもこの娯楽を受け取れるチャンスがあるのって、ありがたいものだなあと思います。

今回は、地元で文化的に大きく、でも全然偉そうにしないし正直な、めっちゃ広く面白い活動をされている、某カメラマンさんに、お誘いいただいたからこその、チャンスだったと思います。

心からお礼申し上げます。このブログ読まないと思うけど笑笑

映画は、もうね、この画像見て、

野性爆弾のくーちゃんじゃん!爆笑

と思いながら観にいきました。

シュールでよく分かんないだろなー私には、とも思いながら。

実際同じ監督の別の作品のトレーラーをYouTubeで拝見した時、シュールって思った記憶がありましたし。

そしたら、全然シュールじゃなかった。

というか、私の中のシュールという言葉の意味が間違っていたのでした。

この作品の主人公は、監督ホドロフスキーの若い時をモデルとしています。

彼は元来詩人からスタートしているのですが、今も一貫して詩人で、たまたま映画で詩を作り出している方なんだねえ、だからエンドレスポエトリーなのねと、理解できました。

生まれながらの詩人。生きることが詩。

映画が一見現実みがない展開なのは、

この感情や雰囲気、想いや思想を伝えたい。

悲しいとか寂しいでは足りない。

だからといって説明で埋めるのは全くセンスないし、本質から更に遠ざかる。

どうやったら1番みんなに伝わるか。

と、自分のセンスや技法を磨いていったから。

一見ツギハギや突拍子ない流れから浮き上がってくるもので表現する手法になっちゃったんだということ。

まんま詩ですよね。

彼の伝えたいこと、すごく分かりやすかったです。

そして、

芸術って、現実と繋がってはいるけれど、別ドアで部屋が区切られている。

だから、現実では癒せないものをフィクションとして癒すことも出来るんだ。

そんな魔法なんだ。

という、監督の熱い想いも、見受けられました。

彼の現実では父親と和解できなかったことを、映画の中で、和解できなかったことと同時に、和解した場合のビジュアライズをししています。

本当は和解したかった気持ちを自分で受け止め、実際はこうだったらと思ったことを、ロールプレイングで現実化する。

例えばお酒やドラッグ、DVなどから精神的に立ち直っていくための療法みたいに。

これは初めの方で、遠い別離の直前にいた老いた芸術家とその若い彼女に、2人に似た人形劇用の人形をプレゼントした話に遡れます。

別離に際してもその2人が言えなかったお互いの愛を、人形のおかげで劇フィクションとして伝え会えました。

そこにとても感謝されていました。

彼が、

こういうことが、芸術を通してやりたいんだ、できるんだ。やる意味だ。

と、悟った場面でもあったのかと思います。

本当は和解したかったし、ヒプノセラピーなどで事実を理想に書き換えて癒しを起こすことを、作品で、自力で、やったのが、よく分かりました。

監督はタロットの研究もしていたと後で聞きましたが、なるほど納得です。

タロットは、絵の中から無限に多彩にイメージと示唆を生み出します、そのイメージも人にも時間にも刻と変化していきます。

だから、表現として、学んだのかもしれません。

象徴こそが1番雄弁であること。

芸術とスピリチュアルの部屋が想像以上に近いこと。

人の目を通して心に触れるものを作り出すのは、とても骨が折れる。絶望ばかり。

先ほどのくーちゃんみたいな画像の途中、雑然とした控え室とも言えない場所に潜んで、主人公は深い疲労と絶望を吐露していました。

しかし一度外へ出れば、先ほどのくーちゃん笑で、みんなから祭り上げられて、キラキラ楽しそう。

道化の姿で。

うーん切ない。

それでも分かってくれる友もいる。

ごく普通に暮らす人が、ありがたいことに、

なんだかわからないけど、いいわよ、協力するわ

と、芸術を受け入れ、支えてくれたりもする。

それは彼が友人と、詩人として真っ直ぐ歩こう!と言い出して、人んちを横切らせてもらったシーンに現れています。

だから、自分の創造性と自由と愛のために、詩を紡ぎ続けるんだ、と、彼の叫びが、世界の曼荼羅加減とともに、映画として描かれていたと思います。

これぐらいでだいたい感想書けたかな?

私の心に後まで残る作品に出会わせてくれてありがとうございました、高嶋さん、島根県民会館名画劇場さん。

島根でしたら、島根県民会館名画劇場さん、おススメですが。

島根でなくても、探せばこういう活動は、どの地方にもあります。

私の生まれ故郷にもありましたが、勝手になんとなく敷居が高い気がしていて、あまり行くことがありませんでした。

でも今回行ってみて、とても自分のために良かったです。

もしご興味あるかたは、ご自身の地元で探してみられるといかがでしょう?

映画だと特に、感動してもナンダコリャになっても、静かに帰ればいいので、楽ですよ!笑