何かに拘ってしまうと、無想剣には近づかない ( 格闘技 )

無想剣を学ぼうとする者の多くは、

武道、格闘技や対人スポーツの経験者です。

     

その中で特に伝統武道系(古流など)に深く関わっている方は

どうしても、

「己の信じている流儀」

からなかなか抜け出す事が出来ません。

 

悪い事ではありません。

良い事です。

ただし、それが無想剣を遠ざける要因の1つでもあります。

  

無想剣を何かに例えるため、以下の様な定義を付けます。

「無想剣とはマグロを釣り上げる事。」

  

さて、ここで何かの流儀に縛られると

以下の様な行動に出てしまいます。

 

「皇居のお堀でマグロ釣り。」

 

天皇陛下のお膝元ならば、世界中のありとあらゆる

魚が生息している。

こう考えます。

そして、皇居ではマグロは釣れません。

ここで

「マグロ(無想剣)とは空想の生き物。」

この様に考えて、無想剣その物の存在を否定していきます。

  

   

次は私の経験を踏まえた間違った行動を書きます。

流儀に縛られない。

しかし流儀は無いにしても、剣術とは“こうあるべき”

と言う気持ちが残っている場合です。

どのような行動をとるのか?

 

「琵琶湖でマグロ釣り」

 

皇居のお堀よりは、広く深くまた多くの種類の水生生物が

存在します。

皇居よりも多くの魚が釣れるでしょう。

しかし、どんなにすばらしい竿を使おうと、

舟を出そうと、釣りの腕前を磨いても

マグロは釣れません。

そもそも琵琶湖にはマグロは居ないのですから。 

    

ここで琵琶湖よりも大きな水たまりである「海」と言う存在に

気が付くか、あるいは琵琶湖を世界最大の水たまりと考えて

自ら頭打ちにするか。

ここに分岐点が生じます。

 

海の存在に気が付いても、浜辺ではマグロは釣れません。

しかし、より正解には近付いています。

努力と言う手法を色々と講じていきます。

これは正解です。

  

努力と言う手法の中で、

   

「船に乗り外洋でマグロを釣る。」

 

マグロを釣りあげる技術が必要です。

船を操縦するための技術だって必要です。

これらを技術と表現しましたが、

この技術と言う部分が「心法」です。

 

今回の例では、マグロ釣りの名人が

無想剣の名人と考えて下さい。

技術を心法に置き換えていくと、

答えが見つかり易いかもしれません。

  

   

   

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